最終更新日2026年4月21日
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大学入試世界史文化史・地域史問題
−古代イランの文化−
次の文の( )に適する語句を入れ、問に答えよ(法政大 改)。
インド=ヨーロッパ系のアケメネス朝ペルシアは、第1代のキュロス2世が礎を築き、第3代の(1)に至って、東はインダス川流域から西はエーゲ海北岸におよぶ広大な大帝国となった。アケメネス朝ペルシアの支配下では、それまでのオリエントの諸文化が融合して発展し、とくに建築や工芸に優れたものを残した。また、この王朝では、ペルシア語を表記するために、楔形文字から派生したペルシア文字がつくられたが、公用語としては、ペルシア語のほかにアラム語やアッシリア語(新バビロニア語)なども用いられた。また、宗教では、(2)教が信仰された。この(2)教は、のちに中国にも伝わった。
前331年の(3)の戦いの翌年にアケメネス朝ペルシアが滅ぶと、その後イラン(ペルシア)の地は、長い間ギリシア系の諸王朝の支配下に置かれた。しかし、前3世紀の半ば頃にイラン系遊牧民の族長(4)がカスピ海東南に建てた(5)王国は、次第にイランの地へと領土を広げ、東西貿易からの関税収入で大いに栄えた。(5)では、当初はヘレニズム文化の影響を強く受けていたものの、紀元1世紀頃からはイランの伝統文化が復活した。
3世紀前半、(5)はイラン系農耕民が建てた(6)朝に滅ぼされた。(6)朝の第2代の王である(7)は、「イラン人および非イラン人の諸王の王」という称号を用いて世界帝国の建設をはかった。(6)朝は、イラン人の民族的宗教である(2)教を国教とし、教典『(8)』も編集した。しかし、支配下の諸民族の宗教には寛大であり、周辺諸国からさまざまな宗教が入ってきた。また、3世紀の宗教家(9)は、(2)教をもとに他の宗教を融合し、徹底した善悪二元論、禁欲主義、偶像否定を特徴とする(10)教をおこした。この(10)教は、国内では異端として弾圧されたが、西方ではローマ帝国、東方では唐代の中国にも伝えられた。
(6)朝時代には建築・美術・工芸の分野が大いに発達した。精巧につくられた銀器・ガラス器・毛織物・彩釉陶器の技術や様式は、つぎのイスラーム時代へとうけつがれるとともに、西方ではビザンツ帝国をへて地中海世界に、東方では南北朝・隋唐時代の中国をへて、飛鳥・奈良時代の日本にまで伝えられた。(11)の獅子狩文錦、(12)宝物の漆胡瓶や白瑠璃碗(カットグラス)などはその代表的な例として知られる。
問 下図はアケメネス朝とその都、ササン朝とその都を示している。図中のA〜Dに適語を入れよ。
答え
1( )2( )3( )4( )5( )
6( )7( )8( )9( )10( )
11( )12( )A( )B( )C( )
D( )
解答
1(ダレイオス1世)2(ゾロアスター)3(アルベラ)4(アルサケス)5(パルティア)
6(ササン)7(シャープール1世)8(アヴェスター)9(マニ)10(マニ)11(法隆寺)
12(正倉院)A(アケメネス)B(ササン)C(クテシフォン)D(ペルセポリス)
