最終更新日2024年10月4日
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大学入試世界史文化史・地域史問題
−中国における仏教の展開−
次の文の( )に適する語句を入れ、問に答えよ(立命館大 改)。
仏教が漢代に伝来して以来、一つの外来宗教から中国人の宗教として定着しはじめたのは晋から南北朝の時代にかけてである。華北では五胡十六国から北魏などの北朝政権が、漢人の儒教にかわって仏教を支配原理として利用し、仏教文化が栄えた。石窟もさかんに造営され、洛陽の南の(1)などが文化遺産として有名である。ちなみにこの時代の仏教は国家鎮護的性格が強かったといわれている。一方(2)層の文化が花開いた南朝では、仏教はまず(2)層に受け入れられた。東晋時代の僧の(3)は、江西省盧山の東林寺に白蓮社という念仏結社を設立したことはよく知られているが、そこに集まった人々は高僧や上流階級の信者で、一般民衆の参加はみられなかった。のちに(3)を開祖とする(4)宗が民衆の間に広まり、中国仏教の主流の一つとなるのは宋代以降のことである。
この間、多くの仏教僧が中国に渡来しさまざまな経典を翻訳してきた。しかし経典の訳出は必ずしも組織的、系統的になされたわけではなく、訳経僧の出身地もさまざまで偶然的な要素も強かったので、当時の仏教は多くの経典と諸学派の教説の寄せ集めであった。その後それらの経典のなかから中国人が、特定の経典によって自分たちは救われると考え、自覚的に教義研究を行うようになった。華厳経を重んじる華厳宗や法華経を重んじる(5)宗は、そうした機運のなかから生まれた宗派である。前者は唐の則天武后期に最盛期を迎え、後者は隋の煬帝の支持で教団の基礎が確立し、唐宋時代に盛んになった。
また唐代には新たな経典をもとめてインドを目指す僧も出てきた。玄奘は、その治世を(6)の治とたたえられた唐の太宗李世民の禁止にもかかわらず、ひそかに経典をもとめて出国し、645年に多くの仏典・仏像をたずさえて帰国した。帰国後は太宗李世民の勅命で経典の翻訳にあたり、膨大な新訳を完成させた。新たな宗派ももたらされた。(7)宗は北魏時代に来朝した達磨を開祖とし、坐禅と瞑想による実践を重視した。唐中期ごろ、(8)宗は玄宗皇帝の治世にインドから伝えられた。はじめ道教を信仰していた玄宗は、この新伝来の仏教に冷ややかであったが、インド人僧が娘の重病を秘法でもって救ったことから帰依し、(8)宗は唐王朝の庇護を受けることになり、安史の乱中から乱後にかけて、政界で活躍する僧もでた。
問1 西域亀茲出身で、中国の五胡十六時代、後趙の石勒、石虎に重用された僧を答えよ。
問2 下図は670年頃のアジアを示す。図中のABCDの国名または王朝名を答えよ。
答え
1( )2( )3( )4( )5( )
6( )7( )8( )問1( )問2A( )
B( )C( )D( )
解答
1(竜門)2(貴族)3(慧遠(えおん))4(浄土)5(天台)6(貞観)7(禅)8(真言)
問1(仏図澄)問2A(新羅)B(吐蕃)C(南詔)D(ヴァルダナ朝)