最終更新日2026年10月18日
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大学入試世界史文化史・地域史問題


−イスラーム法−

次の文の( )に適する語句を語群より選びその記号を答えよ。また、問に答えよ(法政大 改)。

 ヨーロッパや中国の法とは異なり、イスラーム法は「聖法」であった。イスラーム法を表すアラビア語の(1)の字義は「水場にいたる道」であり、人間は神が定めた「道」に従うことで救いに至る、ということを意味した。したがって、イスラーム法の基礎はアッラーがムハンマドに授けた啓示の記録である「(2)」であり、その内容は人が神と結ぶべき正しい関係を定めた宗教的・儀礼的規範と、人と人との関係を定めた法的規範の両方を含んでいる。神のことばそのものである「(2)」を解釈する際の拠り所として、「(2)」に次ぐ法的権威を持つようになったのが「預言者のスンナ」、すなわちムハンマドが示した宗教的・倫理的・法的慣行である。ムスリムの征服に続く最初の数世紀において様々な都市で法の解釈に携わった学者たち((3))は、ムハンマドの言行に関する((4))を収集した。ムスリムの多数派は、スンナは(4)のなかに見いだせると考え、どの(4)を真正のものとして受け入れるべきかについては、ムスリム共同体((5))の合意(イシュマー)を重視して、自らを「スンナと(5)の民」と称した。これに対し(6)派は、ムハンマドの従弟である(7)との子孫のみをムハンマドの正統な後継者でアッラーと交信する能力を持つ無謬の最高指導者((8))と考え、その伝承を通してスンナを解釈する。このようにしてイスラーム法は体系化されたが、その後、イスラーム法ではカバーしきれない問題に対処するため、政治・行政上の世俗法としての(9)が成立してくる。とくにオスマン帝国では(10)の権力の増大とともに、(9)が(1)から独立した法体系として著しく発達した。さらに、イスラーム世界のほぼ全域が西欧列強の植民地体制に組み込まれた19世紀以降は、ヨーロッパの法体系が適用され、現在ではイスラーム法を実際に施行している国は少ない。このような状況に対し、(1)の実施を求める声が近年高まっているのである。

問1 下図は10世紀中頃のイスラーム世界を示す。図中のA〜Fの王朝名を答えよ。
問2 下図のA〜Fの王朝のうち(6)派の王朝を記号で答えよ。

(語群)
Aハディース Bシーア Cスルタン Dシャリーア Eアリー Fコーラン Gアミール
Hウラマー Iミッレト Jウンマ Kカーヌーン Lイマーム

イスラーム法


答え
1(  )2(  )3(  )4(  )5(  )6(  )7(  )8(  )9(  )
10(  )問1A(     )B(     )C(     )D(     )E(     )
F(     )問2(     )


解答
1(D)2(F)3(H)4(A)5(J)6(B)7(E)8(L)9(K)10(C)
問1A(カラハン朝)B(サーマーン朝)C(ブワイフ朝)D(アッバース朝)E(ファーティマ朝)
F(後ウマイヤ朝)問2(CE)