最終更新日2026年10月10日
世界史の歴史地図へのお誘い
世界史の演習
−モンゴル帝国の支配−
次の文の( )に適する語句を入れ、下図の( )に適する語句をそれぞれのヒントを参考にして答えなさい。
12世紀の初めに遼が滅びると、やがて勢力をのばしたテムジンが、勢力を拡大しハン位につき((1)・成吉思汗)、大モンゴル国をたてた。その後、西遼を倒したナイマンを滅ぼし、西トルキスタンからイランを支配する新興国家(2)朝を倒し、1227年(3)を滅ぼして広大な帝国を築いた。彼の死後、第2代(4)は1234年に(5)を滅ぼし、(6)をロシア遠征に派遣した。(6)は西北ユーラシアの草原の大半を制圧して、東ヨーロッパに侵入し、さらに1241年には(7)の戦いでドイツ・ポーランドの連合軍を破り、その後、南ロシアに(8)国をたてた。第4代モンケは、弟(9)を西アジアに派遣した。(9)はバグダードを占領してアッバース朝を滅ぼして、イル=ハン国を建国した。
第5代世祖(10)は都を(11)に定め、国名を中国風に(12)と改めた。ついで(13)を滅ぼして中国全土を支配下においた。(10)はモンゴル高原と中国を直接支配したほか、チベットや朝鮮半島の(14)を服属国とした。さらに(10)は日本・ベトナム・チャンパー・ビルマ・(15)島にも遠征軍をおくった。その遠征は強い抵抗にあって、多くの場合目的を達成できなかった。
モンゴル帝国の成立により、東西の交通路が整備されたため、東西文化の交流が活発になった。当時(16)遠征をおこなっていた西ヨーロッパは、イスラーム地域を征服したモンゴル帝国に関心をもち、ローマ教皇は(17)、フランス王ルイ9世はルブルックをそれぞれ使節としてモンゴル高原に派遣した。またイタリア商人(18)は(11)にきて(12)につかえ、その見聞をまとめた『世界の記述』(『東方見聞録』)はヨーロッパ人の東洋への関心を高めた。
ヒント
19.現在の北京。遊牧世界と中国農耕世界の接点に位置し、また通恵河によって海洋世界とも結ばれた。
20.第2代オゴタイが築く。第4代モンケの時代まで首都。
21.李朝にとってかわった王朝。3度にわたるモンゴル人の侵入を撃退した。
22.この地で、ドイツ・ポーランドの諸侯連合軍を破る。
23.アイユーブ朝を倒してエジプト・シリアを支配した。モンゴル軍を撃退。
24.都はサライ。南ロシアに建国された遊牧国家。
25.第5代フビライが中国風にさだめた国号。
26.都はタブリーズ。フラグがイラン地方を支配して建国。
27.都はアルマリク。イリ川からシル川にかけて建国した遊牧国家。
答え
(1 )(2 )(3 )(4 )
(5 )(6 )(7 )(8 )
(9 )(10 )(11 )(12 )
(13 )(14 )(15 )(16 )
(17 )(18 )(19 )(20 )
(21 )(22 )(23 )(24 )
(25 )(26 )(27 )
解答
1チンギス=ハン 2ホラズム=シャー 3西夏 4オゴタイ 5金 6バトゥ 7ワールシュタット
8キプチャク=ハン 9フラグ 10フビライ 11大都 12元 13南宋 14高麗 15ジャワ 16十字軍
17プラノ=カルピニ 18マルコ=ポーロ 19大都 20カラコルム 21陳 22ワールシュタット 23マムルーク
24キプチャク=ハン 25元 26イル=ハン 27チャガタイ=ハン
