最終更新日2024年10月8日
世界史の歴史地図へのお誘い
世界史の演習
−政治的分裂深まるドイツ・イタリア−
次の文の( )に適する語句を入れ、下図の( )に適する語句をそれぞれのヒントを参考にして答えなさい。
ドイツ(神聖ローマ帝国)では歴代皇帝が(1)政策に力をそそいだが、それは結果的に大諸侯や自由都市のいっそうの自立化をまねくことになった。シュタウフェン朝断絶の1256年には、事実上皇帝がいないという「(2)時代」が生じた。その後も皇帝権力はふるわず、1356年には皇帝(3)は「(4)」を発布して、聖俗の7人の選帝侯に皇帝選出権を認めた。さらに14世紀以降、各領邦は地方主権をのばしていった。15世紀前半以降、皇帝は(5)家からだされるようになり、帝国統一につとめたが失敗した。領邦の数は諸侯や自由都市など300をかぞえ、ドイツの統一はますます困難なものになっていった。一方、かつてスラヴ人やマジャール人が住んでいたエルベ以東の地には、12世紀から14世紀にかけてドイツ人の大規模な植民がおこなわれ((6))、いくつかの諸侯国が成立した。ブランデンブルク辺境伯領やドイツ騎士団領などはその例である。これら2つの諸侯領は後世のプロイセン王国の起源となった。
イタリアでもドイツと同じように、中世末期には多数の国・諸侯・都市にわかれていた。南部では両シチリア王がシチリア王国とナポリ王国に分裂し、中部の教皇領を挟んで、北部ではヴェネツィア共和国・フィレンツェ共和国・ジェノヴァ共和国など多くの国家が分立していた。そして、神聖ローマ皇帝が(1)政策によって介入してくると、諸都市の内部では(7)(教皇党)と(8)(皇帝党)にわかれて党争が繰り返され、国内の統一をさらに困難なものとした。
ヒント
9.オーストリア王家。1438年以降24の皇帝位を世襲する。
10.金印勅書により承認された24の皇帝選出権をもつ大諸侯。
11.後のプロイセン王国の基礎となる領邦。
12.後にルターをかくまったことで有名なフリードリヒ公がでる。
13.大司教。ゴシック式の大聖堂で有名。
14.大司教。14世紀初めより、10の大諸侯のなかで第2位をしめる。
15.大司教。帝国宰相として帝国内に重きをなした。
16.住民は西スラヴ系のチェック人が多い。11世紀に24に編入された。
17.後にルイ14世がおこした継承戦争(1698〜97)が有名。
18.ローマ帝国時代にはヴィンドボナとよばれた。
19.15世紀までに事実上の独立を達成。ウィリアム=テルの英雄伝説は有名。
20.東方貿易を支配し、「東方への窓」とよばれた。
21.ピピンが寄進したラヴェンナ地方にはじまる。
22.1282年の「シチリアの晩鐘」事件の結果、両シチリア王国が分裂し成立。
23.東方植民の一つとして成立。プロイセンの起源をなす。
24.962年オットー1世が教皇から帝冠をさずけられたのが起源。
答え
(1 )(2 )(3 )(4 )
(5 )(6 )(7 )(8 )
(9 )(10 )(11 )(12 )
(13 )(14 )(15 )(16 )
(17 )(18 )(19 )(20 )
(21 )(22 )(23 )(24 )
解答
1イタリア 2大空位 3カール4世 4金印勅書 5ハプスブルク 6東方植民 7ゲルフ 8ギベリン
9ハプスブルク家 10七選帝侯 11ブランデンブルク 12ザクセン 13ケルン 14トリーア 15マインツ 16ベーメン
17ファルツ 18ウィーン 19スイス 20ヴェネツィア 21教皇 22ナポリ 23ドイツ騎士団 24神聖ローマ帝国