最終更新日2026年5月1日
世界史の歴史地図へのお誘い
世界史の学習室
−西ローマ帝国の滅亡−
次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
306年即位した(1)帝は、ディオクレティアヌス帝の政策を引き継ぐとともに、それまで迫害されてきた(2)教を313年に公認することで帝国の統一をはかった。さらに軍隊を増強して帝国支配の安定をはかり、また財政基盤を整備するため(3)を土地にしばりつけて税収入を確保し、下層民の身分や職業を世襲化した。330年、(1)帝はビザンティウムにあらたな首都を建設して(4)と改称し、巨大な官僚体制をつくりあげ帝国を専制支配するようになった。その結果、ローマは官僚制を土台とした階層社会となり、人びとは役人としての出世を望むようになった。こうしてポリス以来の市民の自由は、完全に失われた。
(1)帝の改革にもかかわらず、巨大な軍隊と官僚制を支えるための重税は、あいつぐ属州の反乱をまねいた。さらに375年に始まる(5)人の大移動によって帝国内部は混乱したため、帝国の分裂を防ぐことは困難になった。そこで395年、(6)帝は帝国を東西に分割して2子にわけ与えた。(4)を首都とする(7)帝国(東ローマ帝国)は都市経済が比較的健在で、その後1453年まで続いた。しかしローマを首都とする西ローマ帝国は(5)人の侵入で混乱をきわめ、ついに(5)人傭兵隊長(8)によって西ローマ皇帝は退位させられ、476年滅亡した。
答え
(1 )(2 )(3 )(4 )
(5 )(6 )(7 )(8 )
(9 )(10 )
解答
1コンスタンティヌス 2キリスト 3コロヌス 4コンスタンティノープル 5ゲルマン
6テオドシウス 7ビザンツ 8オドアケル 9ディオクレティアヌス 10 395
(センター試験 改)
中世に作られた地図には、当時知られていた地名が記されている。地図中のaからdの都市について述べた文として正しいものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。
@ aは、ナポレオンによる発掘で実在が確認された。
A bは、ディオクレティアヌス帝によって、ローマ帝国の都とされた。
B cは、オットー1世の領土の寄進によって成立したローマ教皇領の中心となった。
C dは、ヘブライ人の王国の都であった。
解答 C
解説
@は誤。ナポレオンはシュリーマンの誤り。
Aは誤。ディオクレティアヌス帝はコンスタンティヌス帝の誤り。
Bは誤。オットー1世は小ピピンの誤り。
(共通テスト 改)
ローマ皇帝コンスタンティヌスの事績あ・いと、彼が開催した公会議について述べた文X〜Zとの正しい組合せを答えよ。
事績
あ 外敵の侵入に対応するため、軍管区制(テマ制)を導入した。
い 徴税強化のため、コロヌスの移動を禁止した。
公会議について述べた文
X 単性論が異端とされた。
Y アリウス派が異端とされた。
Z ネストリウス派が異端とされた。
解答 い−Y
(世界史の言)
「ローマは三度(みたび)世界を統一した」
19世紀のドイツの法学者イェーリンクがその著『ローマ法の精神』の冒頭に記したことば。第一は武力、第二はキリスト教、第三はローマ法であるとして、ローマ法の偉大さをのべたもの。
