最終更新日2026年8月25日
世界史の歴史地図へのお誘い
世界史の学習室
−清朝の統治−
次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
(1)が明を倒すと、長城東端にある関門の(2)で、清軍の侵入を防いでいた明の将軍(3)は清軍に降伏し、清軍は長城内にはいって北京を占領した。盛京(せいけい、現在の瀋陽)から北京に遷都した清は中国全土へと支配を拡大し、南方の雲南・広東・福建に(3)ら3人の漢人将軍をおき藩王とした(これを(4)という)。一方、東南沿海で武装貿易船団を率いて反清復明の活動をおこなっていた(5)とその一族は、オランダ人を追い出して1661年に(6)を占拠し、ここを根拠地に清に抵抗した。さらに清朝が(4)の撤去をはかると、(3)らは反乱をおこした(これを(4)の乱という、1673〜81年)。しかし、第4代(7)帝は、海禁政策を徹底して鄭氏の財源をたち、鄭氏を降伏させて1683年(6)を領土するとともに、(4)の乱を制圧して清朝支配の基盤を固めた。
清朝の皇帝は、中国歴代王朝の伝統を継承する皇帝であると同時に、満州人やモンゴル人にとってはモンゴル帝国のハンの伝統を受け継ぐ北方遊牧社会の君主でもあった。清朝の前半期には(7)・(8)・(9)と有能な皇帝が輩出し、これらの皇帝はこの二つの面を兼ねそなえて独裁的な権力を行使した。
清朝は中国支配にあたって、科挙や官制などにおいては明の制度をほぼ継承し、儒学を振興して中国王朝の伝統を維持する方針を示した。一方で、軍制では漢人で組織する(10)のほかに、満州・モンゴル・漢の3軍で編制する(11)を要地に駐屯させた。また、中央官制の要職における定員は満・漢同数とし、(8)帝治世のときに皇帝直属の諮問機関である(12)を設けるなど、独自の制度も設けた。さらに、清朝は(7)帝の命による『(13)』、(8)帝の治世に完成した『(14)』、(9)帝の命による『(15)』など大規模な編纂事業をおこして学者を優遇した。他方で、書物のなかの反満・反清的な文字を摘発し、その作者を厳罰に処す(16)の獄や、禁書をおこなって思想を統制した。漢人男性に対して(17)を強制することは、はじめ強い抵抗をうけたが、清朝はその方針をつらぬいた。(18)教などの民間宗教も、邪教として激しい弾圧をうけた。
答え
(1 )(2 )(3 )(4 )
(5 )(6 )(7 )(8 )
(9 )(10 )(11 )(12 )
(13 )(14 )(15 )(16 )
(17 )(18 )(19 )(20 )
解答
1李自成 2山海関(さんかいかん) 3呉三桂 4三藩 5鄭成功 6台湾 7康熙 8雍正
9乾隆 10緑営 11八旗 12軍機処 13康熙字典 14古今図書集成 15四庫全書 16文字 17辮髪
18白蓮 19軍機処 20理藩院
(センター試験 改)
次の地図に示した地域a〜dについて述べた文として誤っているものを、下の@〜Cのうちから一つ選べ。
@ 清は、北京条約によって、ロシアにaを割譲した。
A 清は、下関条約によって、bが独立国であることを確認した。
B 清は、康熙帝の治世下で、cを領有した。
C 清は、19世紀末、dをイギリスの勢力圏とすることを認めた。
解答 C
解説
@は正。aは沿海州(ウスリー江以東)。ロシアは1860年、アロー戦争の講和を仲介した代償として清と北京条約を結び、沿海州を獲得した。
Aは正。bは朝鮮。日清戦争の講和条約下関条約(1895年)で、清は朝鮮の独立を認めた。
Bは正。cは台湾。清の康熙帝は1683年、台湾の鄭氏一族を平定し、台湾を領有した。
Cは誤。dは福建省。19世紀末、日本の勢力圏となった。
(世界史の言)
「江浙稔(みの)れば天下足る。湖広(ここう)稔れば天下足る」
前者は明代以前の米作の中心が江浙地方にあったことをあらわしており、後者は米作の中心が湖広地方に移った明末から清朝にわたる時代をあらわしている。こうした変化の背景には、江浙地方が綿織物中心の手工業地となった事情がある。
