最終更新日2026年10月22日
戻る  メニューに戻る

世界史の歴史地図へのお誘い
戻る  メニューに戻る
世界史の学習室


−アメリカにおける植民地争奪−

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。

 ポルトガル領となった(1)を除いて、ラテンアメリカの大部分を植民地化したスペインは、アメリカ大陸の先住民と西アフリカからつれてきた(2)を使い、鉱山の開発をおこないばく大な金や銀を独占した。その後、オランダなどの新興国の台頭でスペインの地位は低下していった。17世紀になると、オランダが1621年に(3)を設立して、アフリカ西岸とアメリカとの通商に乗り出しはじめた。オランダは北アメリカ東岸に(4)植民地を築き、中心都市(5)を建設した。この都市はその後、イギリスが1664年に奪い、(6)と改名した。
 フランスは17世紀初頭以来(7)を中心にカナダへ進出し、さらにルイ14世の治世には広大な(8)を手に入れた。一方イギリスは17世紀初頭、北アメリカ東岸に最初の植民地(9)を築いた。1620年には、(10)(ピューリタンの一団)が帆船メイフラワー号でアメリカにわたり、プリマスに定住して、(11)植民地の基礎をつくった。こうして18世紀前半までにはイギリスの(12)植民地が南北にならぶ形で築かれた。イギリスからはさまざまな人びとが入植したが、彼らはラテンアメリカのヨーロッパ人入植者の場合と異なり、先住民(「インディアン」)と融合しなかった。
 18世紀にはイギリスとフランスの戦いがひんぱんにおこった。イギリスは(13)戦争の結果、フランスからニューファンドランドなど北アメリカの領土を獲得し、(14)戦争ではマリア=テレジアを支援してフランスの兵力をヨーロッパ内にとどめおかせた。七年戦争と並行して、北アメリカではイギリスとフランスの植民地戦争である(15)戦争がたたかわれた。この戦争に勝利したイギリスは、1763年の(16)条約でカナダとミシシッピ川以東の(8)、フロリダ、西インド諸島の一部および西アフリカの(17)を手に入れた。フランスは反対に、ミシシッピ川以西の(8)をスペインに譲ったので、北アメリカにおける領土をすべて失い、イギリス植民地帝国の基礎が固められた。

アメリカにおける植民地争奪


答え
(1         )(2         )(3         )(4         )
(5         )(6         )(7         )(8         )
(9         )(10         )(11         )(12         )
(13         )(14         )(15         )(16         )
(17         )(18         )(19         )(20         )


解答
1ブラジル 2黒人奴隷 3西インド会社 4ニューネーデルラント 5ニューアムステルダム
6ニューヨーク 7ケベック 8ルイジアナ 9ヴァージニア 10ピルグリム=ファーザーズ
11ニューイングランド 12 13 13スペイン継承 14オーストリア継承 15フレンチ=インディアン
16パリ 17セネガル 18フランス 19イギリス 20スペイン


(センター試験 改)

 北米に関連して、17世紀後半と七年戦争終了時(1763年)のアメリカ大陸における列強の版図を示す次の2枚の地図を見て、a・b・cの国の組み合わせとして正しいものを、下の�@〜�Dのうちから一つ選べ。

アメリカにおける植民地争奪


�@ a−フランス  b−イギリス  c−スペイン
�A a−スペイン  b−イギリス  c−フランス
�B a−イギリス  b−スペイン  c−フランス
�C a−イギリス  b−フランス  c−スペイン
�D a−スペイン  b−フランス  c−イギリス


解答 �@
解説
 17世紀後半の地図で広大な版図を有していたa国が、1763年の地図ではほとんどの版図をなくしている。このことから、a国は、七年戦争の講和条約であるパリ条約(1763年)で北アメリカにおける領土のすべてを失ったフランスとなる。


(世界史の言)

「わが上なる星空と、わがうちなる道徳律」

 カントの『実践理性批判』の結びにあることば。「たびたび考えれば考えるほど、また長く考えれば考えるほど、常に新たにして増大する感歎と崇敬をもって心を満たすものが二つある」という一文に引き続いて記されている。かれは道徳律を守ることが人間の義務である、とした。