最終更新日2026年1月13日
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世界史の学習室
−東南アジアにおける民族運動の形成−
次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
東南アジア地域は、(1)を除いてすべての地域が植民地支配のもとにあった。植民地支配に抵抗する運動は、いずれの地域でもみられたが、多くは弾圧され挫折していった。
オランダでは、衰退し続けるインドネシア社会の現状に批判的な世論が形成され、(2)制度の廃止など、インドネシアに関する植民地政策の根本的見直しがいそがれた。その結果、20世紀初めに「(3)政策」と呼ばれるあらたな政策が始まり、キリスト教の布教や住民への福祉、現地への権力の委譲があげられた。その一つとして、現地人官吏養成のための学校が多く設立され、貴族の子弟を中心に、オランダ語教育や専門教育がおこなわれた。そして、それらの教育をうけた子弟のなかに、徐々に民族的自覚がうまれていった。
こうした状況のなかで、1911年になると民族的な組織が誕生し、翌12年に(4)となった。初め相互扶助をかかげた(4)は、やがて政治活動に向かった。第一次世界大戦後1918〜20年の民族運動の高揚期には中心的役割をはたし、民族独立や社会主義を掲げた。しかし、植民地政府の弾圧により組織は崩壊した。
フィリピンでは、フィリピンやスペインで高等教育をうけた新しい世代のフィリピン人が、19世紀後半から、スペインの支配を批判して民衆の啓蒙活動を始めた。1880年代にはいると、(5)らが民族意識をめざめさせる言論活動を始め、1896年には(6)革命が開始された。革命運動にアメリカ合衆国が介入すると、(7)を中心とする革命軍は、日本に武器援助を求めるなどして解放をめざし、(8)をたてた。しかし1898年の(9)戦争後、スペインから領有権を獲得したアメリカは、フィリピンに侵攻し、1899年(10)戦争が始まった。(8)側が敗北し、アメリカは1902年から本格的に植民地統治を始めた。しかし、その後も、ムスリムを中心に各地で抵抗が継続した。
ベトナムでは、(11)を中心に、1904年フランスからの独立と立憲君主制の樹立をめざす運動が組織され、そののちこの組織は(12)と呼ばれるようになった。また、明治維新後に急速に近代化し、日露戦争に勝利し大国ロシアを破った日本の姿に勇気づけられて、日本から軍事援助を得ようとする活動や、日本へ留学生を派遣して新しい学問や技術を学ばせようとする(13)運動も組織された、しかし、日本への留学生は、フランス政府の要請をうけた日本政府の迫害にあい国外退去となり、運動は中国の国民党の支援を得ながら広東で辛亥革命直後の1912年に結成された(14)に受け継がれた。
答え
(1 )(2 )(3 )(4 )
(5 )(6 )(7 )(8 )
(9 )(10 )(11 )(12 )
(13 )(14 )(15 )(16 )
(17 )(18 )
解答
1タイ 2強制栽培 3倫理 4イスラーム同盟(サレカット=イスラーム) 5ホセ=リサール
6フィリピン 7アギナルド 8フィリピン共和国 9アメリカ=スペイン 10フィリピン=アメリカ
11ファン=ボイ=チャウ 12維新会 13ドンズー(東遊) 14ベトナム光復会 15オランダ
16アメリカ 17フランス 18イギリス
(センター試験 改)
次の文@〜Cのうちから、日露戦争の影響をうけたアジア民族運動についての記述として誤っているものを一つ選べ。
@ 中国では、革命派が大同団結して、中国革命同盟会を組織した。
A 朝鮮では、広範な民衆が参加する三・一運動がおこった。
B ベトナムなど東南アジア各地では、植民地支配に抵抗する民族運動がおこった。
C トルコでは、「青年トルコ人」の改革運動が盛んになった。
解答 A
解説
Aは誤。三・一運動は1919年で、日露戦争後の民族運動は義兵運動である。
(世界史の言)
「余の名誉は幾度かの戦勝にではなく、余の法典にある」
セントヘレナ島に流された後、ナポレオンが回想録のなかでいわゆるナポレオン法典にふれてのことば。ナポレオン法典は、その後の諸国の民法典の模範となった。
