最終更新日2025年5月2日
世界史の歴史地図へのお誘い
世界史の学習室
−3世紀の危機−
次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
ローマ帝国は、五賢帝最後の(1)帝の治世の末頃から、帝国財政のいきづまりや経済の不振が徐々にあらわになってきた。3世紀には帝国の一体性がくずれはじめ、各属州の軍団が独自に皇帝をたてて元老院と争い、短い期間に多くの皇帝が即位しては殺害されるという(2)皇帝の時代になった。また北方の(3)人や東方の(4)朝などの異民族も国境地帯に侵入し、たびたび戦乱がおこり、帝国は分裂の危機におちいった。
社会のしくみも変化しつつあった。内乱と異民族の侵入に対する軍事力が増強され、その維持のため都市は重税を課されて経済的に弱体化し、とくに西方の諸都市は衰退しはじめた。都市の上層市民のなかには、都市を去って田園に大所領を経営するものがあらわれた。彼らは、貧困化して都市から逃れた下層市民などを(5)(小作人)として大所領で働かせた。こうした生産体制を(6)(小作制)と呼び、やがて従来の奴隷制経営による(7)(大土地所有制)にとってかわった。
284年に即位した(8)帝は帝国を東西にわけ、それぞれを正帝と副帝の2人が統治する(9)(四帝分治制)をしいて政治的秩序を回復した。また軍の兵員をふやし、徴税のしくみを新しくするなどの諸改革を実施して、帝国分裂の危機をとりあえず避けることができた。さらに皇帝を神として礼拝させ、専制君主として支配したので、政治体制はこれ以後、(10)(元首政)から(11)(専制君主政)へと変化した。
答え
(1 )(2 )(3 )(4 )
(5 )(6 )(7 )(8 )
(9 )(10 )(11 )(12 )
(13 )(14 )
解答
1マルクス=アウレリウス=アントニヌス 2軍人 3ゲルマン 4ササン 5コロヌス
6コロナトゥス 7ラティフンディア 8ディオクレティアヌス 9テトラルキア
10プリンキパトゥス 11ドミナトゥス 12ポエニ 13ゲルマン 14軍人
(センター試験 改)
紀元3世紀頃のローマ帝国の状況を説明した文として正しいものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。
@ 政治が比較的安定し、帝国の版図が最大に達した。
A 成立したばかりのパルティア王国と国境をめぐって争っていた。
B 皇帝が軍隊によって頻繁に廃立される政治的混乱の時代であった。
C 西ゴート族のドナウ渡河に始まるゲルマン民族の大移動が生じ、帝国が混乱状態に陥っていた。
解答 B
解説
@は誤。帝国の版図が最大に達したのは、1世紀末から2世紀にかけての五賢帝時代。
Aは誤。3世紀に成立したイランの王朝はササン朝である。
Cは誤。ゲルマン民族大移動の始まりは375年で4世紀である。
(世界史の言)
「ラティフンディアはイタリアを滅ぼし、まさに属州に及びつつある」
1世紀のローマの人、プリニウス(大)の『博物誌』にあることば。大勢の奴隷を使用するラティフンディアは、共和政末期から広がり、そのためにローマ社会の支柱であった自由農民が没落して、政治的にも混乱がつづいた。
