最終更新日2024年4月23日
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世界史の学習室

ローマ共和政

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
 前1000年頃、古代イタリア人が北方からイタリア半島に南下、定住した。そのなかの(1)人の一派によって、ティベル川のほとりに建設された都市国家がローマである。ローマは、先住民(2)人をとおしてギリシア文化の影響をうけ、初期には(2)人の王に支配されていたが、前6世紀末に王を追放して共和政となった。ローマでは(3)(貴族)とおもに中小農民である(4)(平民)の身分があり、最高官職である任期1年・2名の(5)(執政官)は貴族から選ばれていた。そして(5)を指導し実質的な支配権をにぎっていたのは、貴族の会議である(6)であった。
 しかし重装歩兵として国防に重要な役割をはたすようになった中小農民は、貴族による政権独占に不満をもち、平民と貴族との身分闘争がはやくからおこった。まず前5世紀の前半に、(6)や(5)の決定に拒否権を行使できる平民出身の(7)と、平民だけの民会である(8)が設けられた。ついで前5世紀中頃には慣習法をはじめて成文化した(9)が制定、公開された。貴族が独占していた慣習法を成文化したことにより、平民の地位向上に役立った。前367年には(10)法により(5)のうち一人は平民から選ばれるようになり、前287年には(11)法により、(8)の決議が(6)の承認なしに全ローマ人の国法となることが定められ、ここに平民と貴族との政治上の権利は同等となった。
 こうして平民にも参政権が与えられると、従来の貴族に一部の富裕な平民が加わって新しい支配層が成立し、政権を独占するようになった。また実質的には(6)が指導権をもち続け、しかも非常時には(12)(独裁官)が独裁権を行使できた。これらの点においてローマ共和政は、貧富の区別なく市民が政治に参加できたギリシアの民主政と異なっていた。

ローマ共和政


ローマ共和政2


答え
(1         )(2         )(3         )(4         )
(5         )(6         )(7         )(8         )
(9         )(10         )(11         )(12         )
(13         )(14         )(15         )(16         )
(17         )

解答
1ラテン 2エトルリア 3パトリキ 4プレブス 5コンスル 6元老院 7護民官 8平民会
9十二表法 10リキニウス=セクスティウス 11ホルテンシウス 12ディクタトル
13ディクタトル(独裁官) 14元老院 15コンスル(執政官) 16護民官 17平民会



(この問題は『世界史標準問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『世界史地図・図解集』に収録されています。)