最終更新日2024年10月10日
戻る  メニューに戻る

世界史の歴史地図へのお誘い
戻る  メニューに戻る
世界史の学習室


イギリス革命

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。

 イギリス(イングランド)では1603年にスコットランド出身の(1)家が王位を継承した。当時、大地主の貴族である(2)が地方行政や議会で大きな役割をもち、その背後では、商工業の発展で市民層が力をもちはじめていた。農村では、(3)(独立自営農民)が活躍し、一部の富農は副業として毛織物マニュファクチュアを営んでいた。国王(4)は、神から授かった王権は人民によって拘束されないという(5)説をとなえたが、国王が議会を無視して新税を課したり少数の大商人に独占権を付与したりすることに、国民のあいだでは批判が高まり、ピューリタンの不満も強くなった。
 1628年、国王(6)の専制政治を国民の歴史的な権利に基づき批判した(7)が議会で可決されたが、翌年議会を解散した(6)は、以後11年のあいだ議会を開かなかった。しかし同君連合の(8)で30年代末に反乱が発生したことから、国王は40年春に議会を招集した。このことが、イギリス革命の発端となった。この革命では、ピューリタンが大きな力をもったとから、(9)革命とも呼ばれる。
 1640年、国王は議会と対立するとただちに議会を解散したが(短期議会)、財政上の必要から、同年秋に議会を再び招集した(長期議会)。この議会も国王をきびしく批判し、42年には王党派と議会派との内戦が勃発した。議会派は国王との戦いを徹底しようとする独立派と、より穏健で立憲王政をめざす長老派に分裂したが、独立派の(10)が、ピューリタンを中心に鉄騎隊を編制し、議会派を勝利に導いた。その後、(10)は議会から長老派を追放し、1649年に(6)を処刑して、共和政を樹立した。
 (2)出身の(10)は、より急進的な主張を掲げる水平派を弾圧する一方、王党派の拠点となったとして(11)や(8)を征服した。とくに、大規模な土地没収がおこなわれた(11)は、事実上植民地となった。同時に、重商主義的な通商政策がおしすすめられ、1651年に制定された(12)は、イギリスとその植民地への輸入品をイギリスか原産国の船で輸送することを定め、中継貿易で栄えていたオランダに打撃を与えた。このため、両国間に第1次(13)戦争(1652〜54年)がはじまった。両国の戦いは、その後60年代、70年代にもおこったが、イギリス優勢のうちに終結した。

イギリス革命


イギリス革命2


(センター試験 改)

 次の地図中の島a〜dをめぐる領有関係について述べた文として最も適当なものを、下の@〜Cのうちから一つ選べ。

イギリス革命3


@ クロムウェルは、aを征服した。
A トラヤヌス帝時代、ローマ帝国はbを獲得した。
B ベルリン条約により、ドイツはcの統治権(行政権)を獲得した。
C フランスは、dを植民地とした。

解答 C
解説
aはアイスランド、bはアイルランド、cはキプロス島、dはマダガスカル島。
@は不適。イギリスのクロムウェルは1649年、bのアイルランドを征服した。
Aは不適。ローマ帝国の領土はトラヤヌス帝時代に最大となったが、bのアイルランドはその支配下に入っていない。
Bは不適。1878年のベルリン条約では、イギリスがcのキプロス島の統治権(行政権)を獲得した。
Cは適当。フランスは19世紀末にdのマダガスカル島を領有した。

答え
(1         )(2         )(3         )(4         )
(5         )(6         )(7         )(8         )
(9         )(10         )(11         )(12         )
(13         )(14         )(15         )(16         )

解答
1ステュアート 2ジェントリ 3ヨーマン 4ジェームズ1世 5王権神授 6チャールズ1世
7権利の請願 8スコットランド 9ピューリタン 10クロムウェル 11アイルランド 12航海法
13イギリス=オランダ(英蘭) 14王党 15議会 16独立



(この問題は『世界史標準問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『世界史地図・図解集』に収録されています。)