最終更新日2026年10月9日
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詳解世界史歴史地図・図解


−第1〜3次イギリス=オランダ戦争(1652〜1674年)−



第1次イギリス=オランダ戦争(1652〜1654年)
 1651年に制定されたイギリスの航海法はイギリスとその植民地への輸入品をイギリスか原産国の船で輸送することを定めて,中継貿易で繁栄していたオランダに打撃を与えました。このため,両国間に第1次イギリス=オランダ戦争が勃発しました。
 イギリス(イングランド)艦隊は東インドからアジアの富を満載して帰国するオランダ商船をイギリス海峡で襲撃し,拿捕し始めました。このため,両国の争いはイギリス海峡の制海権が争点となりました。最後の戦いであるスヘフェニンゲンの海戦でイギリスが勝利し,オランダはイギリス海峡の制海権を失い,オランダはスコットランドの北を大きく迂回して,オランダ本国への帰国を余儀なくされました。

第2次イギリス=オランダ戦争(1665〜1667年)
 イギリス軍が北アメリカにおけるオランダ植民地ニューアムステルダムを占領したことが発端です。第1次戦争同様,イギリス艦隊はオランダ商船の拿捕やオランダ諸港の封鎖をこころみますが財政難で失敗に終わります。聖ジェイムズ日の海戦でイギリスは勝利したものの,優勢とはならず,イギリス海峡にオランダが進出し始めました。
 ところが,フランス軍の南ネーデルラント侵攻(南ネーデルラント継承戦争 1667〜1668年)に対処するため,オランダがイギリスと協力する方針に転換しました。オランダは講和条件でイギリスに譲歩し,ニューアムステルダムを含めニューネーデルラント植民地をイギリスに割譲しました。一方,イギリスは南アメリカのギアナ地方の一部をゆずり,オランダ領ギアナ(現スリナム)となりました。

第3次イギリス=オランダ戦争(1672〜1674年)
 フランス・ルイ14世とドーヴァ密約を結んでいたイギリス・チャールズ2世がフランスのオランダ侵略戦争(1672〜1678年)にあわせて,局地戦として開戦しました。しかし,いずれの戦いもイギリスは勝利にもちこめず,オランダ侵攻には失敗しました。そのため,イギリス議会がチャールズ2世の親仏路線撤回を求め,イギリスは単独で講和を結びました。
 3度にわたるイギリスとオランダの戦争は海戦が中心で,双方とも相手方の本土に侵攻することなく,いずれも中途半端な結果に終わりました。しかし,これ以降,オランダの勢力は後退し,イギリスとフランスが対抗する時代となりました。

第1〜3次イギリス=オランダ戦争(1652〜1674年)