最終更新日2024年4月12日
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日本への稲作の伝播



(この画像と説明文は『日本史地図・図解集』に収録されています)


日本の稲作の伝播

日本への稲作の伝播
 稲作の起源については2説あります。近年は長江流域起源説が注目されています。日本列島へは縄文晩期(あるいは縄文中期)に九州北部にジャポニカ種が伝播したと考えられます。主にA・Bのルートを通って伝播したとされるのは、中国に起源を持つ要素と朝鮮に起源を持つ要素が共にもたらされたと考えられます。
伝播のルートとその理由
Aルートでは、ルートに沿い、順に新しい栽培稲の遺跡を発見、文化の伝播もあります。
Bルートでは、朝鮮半島南部と九州北部には石器・土器・支石墓の構造に類似性があります。
Cルートでは、高床倉庫は朝鮮半島に伝わらず、朝鮮半島にない稲が中国と日本にあります。
Dルートでは、熱帯ジャポニカ種が南西諸島を中心に日本各地で見つかっています。熱帯ジャポニカ種はジャワニカ種ともいわれ、ジャポニカ種と遺伝子が近い関係にあります。