(この画像と説明文は『日本史地図・図解集』に収録されています)
708(和銅元)年、武蔵国から銅が献上されると、7世紀の天武天皇時代の銭貨(富本銭)の鋳造に続けて、唐の銭貨にならい和銅開珎を鋳造しました。
銭貨は都の造営に雇用された人びとへの支給など宮都造営費用の支払いに使用され、政府はさらにその流通をめざして蓄銭叙位令を出しましたが,京・畿内を中心とした地域外では、稲や布などの物品による交易が広くおこなわれていました。
和銅開珎のあと、国家による銅銭の鋳造は、10世紀半ばの乾元大宝(けんげんたいほう)まで12回にわたり続けられ「本朝(皇朝)十二銭」と呼ばれましたが、富本銭が発見されたことにより日本古代の銭貨は13種類となりました。
(参考) 本朝(皇朝)十二銭
@和銅開珎 A万年通宝 B神功(じんごう)開宝 C隆平永宝 D富寿(ふじゅ)神宝
E承和(じょうわ)昌宝 F長年(ちょうねん)大宝 G饒益(じょうえき)神宝
H貞観(じょうがん)永宝 I寛平(かんぴょう)大宝 J延喜(えんぎ)通宝
K乾元大宝