最終更新日2026年4月26日
日本史の歴史地図へのお誘い
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−北海道式古墳−
1931年に北海道江別市の江別兵村(現、後藤遺跡)で古墳群が発見され、恵庭市茂漁などでも古墳群が発見されたことから、古墳時代に本州各地で造営された古墳とは異なる、墳丘をもった墳墓という意味で、北海道式古墳と名付けられました。
その後、青森県や岩手県などで北海道式古墳に類似した墳墓が次々と発見され、1960年代に北海道式古墳にかわって、末期古墳という名称が広く用いられるようになりました。しかし、現在でも末期古墳が古墳であるかどうかについては確定しておらず、蝦夷系墳墓という名称も使われています。
北海道式古墳は、円形または楕円形で、径3〜7m、高さ1mの小規模な高塚墳で、周溝がめぐらされて、20基以上が群集しています。地面に木棺を置き、土を盛ったようです。土師器、須恵器、直刀、勾玉や、平城京の貴族の官位を表す腰帯の金具などの副葬品から、本州との強いつながりを物語っており、8世紀〜9世紀前半代に造営されたと考えられています。
7世紀から10世紀にかけての蝦夷社会のあり方を示す貴重な遺跡として、北海道の江別古墳群、青森県の阿光古墳群、丹後平古墳群、岩手県の江釣子古墳群は国の史跡に指定されています。