最終更新日2026年8月24日
日本史の歴史地図へのお誘い
詳解日本史歴史地図・図解
−津軽十三湊(中世)−
14世紀には畿内と津軽の十三湊(とさみなと)とを結ぶ日本海交易がさかんにおこなわれ、サケ・コンブなど蝦夷地(北海道南部)の産物が京都にもたらされました。室町時代までに成立した海洋法規集『廻船式目』には当時の主要な湊が「三津七湊(さんしんしちそう)」として記されていますが、十三湊もその一つに数えられています。
こうした交易活動は、蝦夷沙汰代官安藤氏の豊かな経済基盤となりました。安藤氏は鎌倉幕府執権の北条義時によって蝦夷沙汰代官に任命された、在地の豪族です。前九年合戦で滅ぼされた安倍貞任の末裔を名乗り、津軽海峡を挟んだ北方世界に君臨しました。
安藤氏が最盛期を迎えるのは、14世紀前半に起こった一族内部の跡目相続、蝦夷沙汰代官職をめぐる争い(安藤氏の乱)に勝利した安藤季久(宗季)が津軽西浜にある十三湊に拠点を移してからと考えられます。しかし、十三湊の繁栄は、15世紀半ば、急速に台頭してきた南部氏との戦いに安藤氏が敗北したことにより終わりを告げました。南部氏に攻められた安藤氏は蝦夷地へと落ちのびていき、そのとき、従ったものの一人に、コシャマインの蜂起を鎮圧した武田信広がいます。安藤氏はそののち、何度も津軽奪回を試みますが成功せず、秋田檜山方面に拠点を移し、秋田氏を名乗ります。
安藤氏が去った後、十三湊は急速に衰微し、北方との交易地の地位は、野辺地湊(現 上北郡野辺地町)や大浜(現 青森市油川)に奪われました。十三湊が再び脚光を浴びるのは、16世紀後半以降で、上方から蝦夷地へ向かう船の寄港地として重視されてからです。