最終更新日2026年1月8日
日本史の歴史地図へのお誘い
詳解日本史歴史地図・図解
−足尾鉱山鉱毒事件と北海道(1911年)−
1877(明治10)年、古河市兵衛が、幕末にはほとんど廃鉱であった足尾銅山を買い取りました。それから6年後には製銅額が買収時の十数倍になりましたが、この飛躍的な発展にともない、下流の渡良瀬川流域の農業・漁業に大被害が現れました。とくに、1896(明治29)年の大洪水では、群馬県など4県にわたる流域一帯の農作物や家畜に大きな被害を与え、人体にも影響をおよぼすに至りました。そこで、政府は1907(明治40)年、被害と洪水を緩和するために、渡良瀬川と利根川の合流点に近い栃木県下の谷中(やなか)村を廃村として村民を集団移転させ、遊水地にしました。
1911(明治44)年4月7日、栃木県下都賀郡南部8か町村の鉱毒と水害による生活困窮者66戸240余名(異説210名)が北海道サロマベツ原野に向けて出発しました。出発前に栃木県庁の吏員から「南向きで肥沃な大地」と聞いていた土地は、東・南・西を山々に囲まれた北面斜面に位置し、平地が少なく標高の高い土地で、オホーツク海からの北風がまともに吹き込む佐呂間町内で最も雪解けの遅い場所でした(佐呂間町ホームページ参照)。このような場所であったため、営農は困難をきわめました。