最終更新日2025年5月2日
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日本史の歴史地図へのお誘い
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大学入試日本史地図図解問題


律令体制の形成

次の文章の(ア)〜(キ)に適する語句を入れ、問に答えよ(名城大・学習院大・神奈川大 改)。

 645年に中大兄皇子を中心とする勢力が蘇我蝦夷と入鹿の父子を滅ぼす乙巳の変が起きた。この時に軽皇子が即位し(ア)天皇となる。中大兄皇子は皇太子となり、彼に協力した(イ)は内臣となった。  668年に中大兄皇子は即位し(a 天智天皇)となるが、その治世は短く、彼の死後、継承をめぐる争いの結果、672年に壬申の乱が起きた。この乱に勝利した天智天皇の弟である大海人皇子は673年、前年に造営した(ウ)で即位し、天武天皇となった。
 この天武天皇の下で、天皇を中心とした中央集権化がすすんでいく。天皇は(b 天皇中心の新しい身分秩序に豪族たちを組み入れ)、銭貨の鋳造もおこなった。
 天皇が亡くなると皇后が即位し、持統天皇となる。持統天皇は天武の政策を引き継ぎ、また(エ)年に藤原京に遷都した。
 持統天皇の次はその孫が即位し、文武天皇となった。この時代には律令制度が整えられ、701年には(c 大宝律令)が完成している。律令体制下での中央の組織として、二官が置かれ、そのうちの(オ)の下には八省が置かれた。八省のうち(カ)は、裁判や刑罰などの業務を担当した。
 文武天皇の治世も長くは続かず、次に即位したのはその母親であり、元明天皇となった。元明天皇は710年に(d 平城京)に遷都した。平城京は碁盤の目のように道路が東西・南北に走っており、北の中央には平城宮があった。平城宮の中で天皇の生活の場であったのは(キ)である。また平城京にはいくつもの(e 寺院)が建てられた。

問1 (a)について、この天皇の時代に初めての全国規模の戸籍が作られた。この戸籍を答えよ。
問2 (b)について、このために天皇が684年に定めたものを答えよ。
問3 (c)について、718年にはさらに養老律令が作られた。大宝律令と養老律令の編纂において中心となった藤原氏の人物を答えよ。
問4 (d)の発掘調査で発見された広大な邸宅の主で、藤原4兄弟の企てによって、自殺に追い込まれた人物を答えよ。
問5 (d)の発掘調査で荷札が発見されている。この荷札などのように、当時使われた、札に墨書された史料を何とよんでいるか、その名称を答えよ。
問6 (e)について、奈良の寺院では仏教の理論の研究が盛んになり、南都六宗と呼ばれる学派が形成された。そのうちの3つを答えよ。
問7 8世紀の文化について述べた文として最も適切なものを、次より選び、その記号で答えよ。
 a.最古の官撰の正史である『古事記』が編纂された。
 b.現存する最古の漢詩集である『懐風藻』が編纂された。
 c.最初の勅撰漢詩文集である『性霊集』が編纂された。
 d.現存する最初の勅撰和歌集である『万葉集』が編纂された。

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答え
ア(     )イ(     )ウ(     )エ(     )オ(     )
カ(     )キ(     )
問1(     )問2(     )問3(     )問4(     )問5(     )
問6(     )(     )(     )問7(  )

解答
ア(孝徳)イ(中臣鎌足)ウ(飛鳥浄御原宮)エ(694)オ(太政官)
カ(刑部省)キ(内裏)
問1(庚午年籍)問2(八色の姓)問3(藤原不比等)問4(長屋王)問5(木簡)
問6(法相宗・律宗・華厳宗・三論宗・成実宗・倶舎宗のうちから3つ)問7(b)



(この地図図解・史料問題は『日本史地図図解問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『日本史地図・図解集』に収録されています。)