最終更新日2026年1月12日
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日本史の歴史地図へのお誘い
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大学入試日本史地図図解問題


第一次世界大戦と日本

次の文章を読み、問に答えよ(上智大 改)。

 (ア)年、バルカン半島での事件を契機にして第一次世界大戦が勃発したが、(あ)の対独宣戦をうけて、時の(A)内閣での外相(B)が主導する形で、日本は同年、ドイツへの宣戦にふみきった。日本軍は同年、中国おけるドイツの権益があった(い)省を攻撃し、ドイツの根拠地であった(う)を占領する一方、(え)以北のドイツ領南洋諸島にも進攻し、接収した。
 その余勢をうけて、日本政府は翌年、中国の(C)政権に対して、中国内のドイツ権益の継承、南満州・(お)内蒙古での権益の強化、中国本土における政治的諸権利の承認などを内容とする「二十一か条の要求」を行った。そして、受け入れを渋る中国側に対して、日本政府は同年(イ)月、最後通牒を出して、要求の大部分をのませた。そのこと、そして外相に対する内外の批判は強く、たとえば当時の「元老」の筆頭的存在であった(D)は、外相の手法を強く嫌い、両者は対立した。
 その翌年に新たに成立した寺内正毅内閣においては、特使の(E)を派遣して中国において新たにできた北方軍閥の(F)政権との合意の結果、採算を度外視した巨額の借款がなされ、このことを通じた日本の権益確保を図った。
 以上のように状況が展開するなか、日本は(A)内閣の時、第(ウ)次日露協約を結び、極東での両国の特殊権益を相互に再確認し、日露関係は、この協約によって実質的な同盟にまでいたった。また、日本は、大戦におけるヨーロッパの主要な味方の国々とも戦後の講和会議の際のお互いの利権獲得について承認しあった。一方、日本の中国進出を警戒していたアメリカは(エ)年、ドイツに宣戦し、日米双方ともに関係を調整する必要が生じた。そのため、日米両国は同年、中国での門戸開放・領土保全と日本が中国において「特殊権益」をもつことを承認しあう石井・ランシング協定を結んだ。
 一方、日本と同盟関係に入っていたロシアでは大戦の長期化とその負担に耐えかねて、革命が起き、帝政が崩壊したが、新たにできた臨時政府は大戦への参戦を継続したため、それへの反発からボリシェヴィキが臨時政府を倒し、世界初の社会主義政権を成立させた。そして、この社会主義政権は翌年、独墺と単独で講和し、大戦から離脱した。
 このことによる東部戦線の崩壊、社会主義政権への反発などからヨーロッパの主要「連合国」は革命で混乱しているロシアに干渉戦争をしかけ、日米に出兵を求めた。して、寺内内閣は、アメリカが(か)軍の救出を名目とする共同出兵を要請してきたのをうけて、1918年(オ)月、シベリア・北満州への出兵を決定した。大戦の終結をうけて、列国は干渉戦争・出兵を終えるが、日本だけは、(カ)年まで出兵を続け、このことへの列国の反発は強くなった。

問1 文中の(A)〜(F)に最も適する人名を答えよ。
問2 文中の(あ)〜(か)に最も適する語句を答えよ。
問3 文中の(ア)〜(カ)に最も適する数字を答えよ。

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答え
問1A(     )B(     )C(     )D(     )E(     )
F(     )
問2あ(     )い(     )う(     )え(     )お(     )
か(     )
問3ア(     )イ(     )ウ(     )エ(     )オ(     )
カ(     )


解答
問1A(大隈重信)B(加藤高明)C(袁世凱)D(山県有朋)E(西原亀三)
F(段祺瑞)
問2あ(イギリス)い(山東)う(青島)え(赤道)お(東部)
か(チェコスロヴァキア)
問3ア(1914)イ(5)ウ(4)エ(1917)オ(8)
カ(1922)



(この地図図解・史料問題は『日本史地図図解問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『日本史地図・図解集』に収録されています。)