最終更新日2026年10月21日
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日本史の学習室
−朝廷と雄藩の浮上−
次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
国内外の危機的状況に対し、幕府権力が弱体化して威信を発揮できなくなると、これにとってかわる上位の権威としての天皇・朝廷が求められようになった。水戸の(1)(正志斎(せいしさい))は1825(文政8)年に『新論』を著し、天皇を頂点に位置づける国体論を提示した。朝廷の側からも、朝廷復古を求める考え方が強く打ち出された。
諸大名も、外様を中心に幕府権力からの自立の道を求め、中・下級武士の有能な人材を登用して、財政の再建と藩権力の強化をめざす藩政改革がおこなわれつつあった。鹿児島(薩摩)藩では下級武士から登用された(2)が1827(文政10)年から改革に着手し、三都の商人からのばく大な借財を事実上棚上げにし、また奄美三島(大島・徳之島・喜界島)特産の黒砂糖の専売を強化し、琉球王国との貿易を増やすなどして、藩財政を立て直した。さらに(3)は鹿児島に反射炉を築造し、造船所やガラス製造所を建設した。ついで島津忠義(ただよし)はイギリス人技師の指導で紡績工場を建設し、この間、長崎の外国人商人グラバーから洋式武器を購入して、軍事力の強化もはかった。
萩(長州)藩では、(4)が多額の借財を整理し、紙・蝋(ろう)の専売制を改革した。さらに(5)をおいて、下関に入港する北前船などの廻船を相手に、本来上方に運ばれるべき商品(越荷)を購入し、委託販売することで収益を上げ、財政の再建に成功した。
佐賀(肥前)藩でも藩主(6)が(7)を実施し、直轄地の小作料の納入を猶予したり、町人地主所有地の一部を藩に返させるなどして、本百姓体制の再建をはかった。また陶磁器の専売を進めて藩財政に余裕を生み出し、反射炉を備えた大砲製造所を設けて洋式軍事工業の導入をはかるなど、藩権力を強化した。
高知(土佐)藩でも「(8)」と呼ばれる改革派が支出の緊縮をおこなって財政の再建につとめた。一方、水戸藩のように、藩主(9)の努力にもかかわらず、藩内の保守派の反対などで改革が成功をみなかった例もある。
改革に成功した薩長土肥などの大藩のほか、伊達宗城(だてむねなり)の宇和島藩、松平慶永(よしなが 春嶽(しゅんがく))の福井(越前)藩などでも有能な中・下級武士を藩政の中枢に参加させ、また三都の商人や領内の地主・商人との結びつきを深めて藩権力の強化に成功した。これらの諸藩は社会の変化に即応した新しい動きをとることで、西国の(10)として幕末の政局に強い発言力をもって登場することになる。
幕府も末期には、代官(11)(坦庵(たんあん))に命じて伊豆韮山(にらやま)に反射炉を築かせたほか、フランス人技師の指導で横須賀に製鉄所を建設した。これら幕府や(10)の洋式工業は、明治維新後に官営工業の模範となった。
答え
(1 )(2 )(3 )(4 )
(5 )(6 )(7 )(8 )
(9 )(10 )(11 )(12 )
(13 )(14 )
解答
1会沢安(やすし) 2調所広郷(ずしょひろさと) 3島津斉彬(なりあきら)
4村田清風(せいふう) 5越荷方(こしにかた) 6鍋島直正(なべしまなおまさ) 7均田制
8おこぜ組 9徳川斉昭(なりあき) 10雄藩 11江川太郎左衛門 12村田清風 13鍋島直正
14調所広郷
(ワンポイント知識)
・江戸時代の毛利氏は、周防(すおう)・長門(ながと)の2カ国を治め、米・塩・紙・蝋の生産に力を入れた。この4品はすべて白色なので、「防長の四白」といわれた。
(センター試験 改)
図についての説明として誤っているものを、次の�@〜�Cのうちから一つ選べ。
�@ 織物を生産する織屋の作業場が描かれている。
�A 腰かけにすわり、足踏みして布を織る高機が使われている。
�B 糸繰りから機織りの作業まで、分業体制がとられている。
�C この作業場での生産のあり方は、問屋制家内工業とよばれている。
解答 �C
解説
�@は正。女性が織工として、図にには多数描かれており、織屋(おりや)の作業場ということがわかる。
�Aは正。女性たちが高い腰掛けにすわって足踏みしながら作業している様子が、図の下半分に描かれている。この機織り機具が高機(たかはた)である。
�Bは正。図の右上に糸繰り、図の左上に機織りの準備、図の下方に高機での作業の様子が描かれており、分業体制がとられていることが理解できる。
�Cは誤。図にみられるように、労働者を1カ所に集め、分業と協業で行われる生産体制を工場制手工業(マニュファクチュア)という。問屋(といや)制家内工業は、問屋商人が家内生産者に機具や原料を貸して、生産物を買い上げるという生産体制のこと。
