最終更新日2026年6月9日
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日本史の学習室


源氏の進出

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。

 11世紀になると、開発領主たちは私領の拡大と保護を求めて、土着した貴族に従属してその郎党となったり、在庁官人になったりしてみずからの勢力をのばし、地方の武士団として成長していった。1019(寛仁(かんにん)3)年、九州北部をおそった(1)の来襲の際には、大宰権帥(だざいのごんのそち)の(2)の指揮のもと、九州の武士たちがこれを撃退した。このことは、当時の九州にも武士団がつくられつつあったことを示している。
 彼らはやがて中央貴族の血筋を引く清和源氏や桓武平氏を棟梁(とうりょう)と仰ぐようになり、その結果、源平両氏は地方武士団を広く組織した(3)(軍事貴族)を形成して、大きな勢力を築くようになった。
 1028(長元(ちょうげん)元)年、上総(かずさ)で(4)の乱がおこると、(5)は房総半島に広がった乱を鎮圧して、源氏の東国進出のきっかけをつくった。また、陸奥(むつ)では豪族安倍(あべ)氏の勢力が強大で国司と争っていたが、(5)の子(6)は陸奥守として任地にくだり、子の(7)とともに東国の武士を率いて安倍氏と戦い、出羽(でわ)の豪族(8)氏の助けを得て安倍氏を滅ぼした。これを(9)という。その後、陸奥・出羽両国で大きな勢力を得た(8)氏一族に内紛がおこると、陸奥守であった(7)が介入し、(10)を助けて内紛を制圧した。これを(11)という。こののち奥羽地方では陸奥の平泉を根拠地として、(10)の子孫(奥州藤原氏)による支配が続くが、一方でこれらの戦いを通じて源氏は東国の武士団との主従関係を強め、武家の棟梁としての地位を固めていった。

源氏の進出


源氏の進出2


答え
(1         )(2         )(3         )(4         )
(5         )(6         )(7         )(8         )
(9         )(10         )(11         )(12         )
(13         )(14         )(15         )


解答
1刀伊(とい) 2藤原隆家(たかいえ) 3武家 4平忠常(ただつね) 5源頼信
6頼義(よりよし) 7義家(よしいえ) 8清原(きよはら) 9前九年合戦
10藤原(清原)清衡(きよひら) 11後三年合戦 12平将門 13平忠常 14藤原純友 15刀伊


(ワンポイント知識)

・鶴岡八幡宮は、源頼義が源氏の氏神・守護神として、京都の石清水八幡宮を鎌倉に勧請したものである。


(センター試験 改)

武士が勢力を拡大する過程で起きた出来事を述べた次の文T〜Vについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の@〜Eのうちから一つ選べ。

T 源頼信が、関東地方で起こった平忠常の乱を鎮圧した。
U 源義朝が、京都での兵乱に東国の武士を動員した。
V 源頼義が、前九年合戦に関東地方の武士を動員した。

@ T・U・V  A T・V・U  B U・T・V
C U・V・T  D V・T・U  E V・U・T


解答 A
解説
Tについて、平忠常の乱は1028〜1031年。
Uについて、「京都での兵乱」とは、1156年の保元の乱と1159年の平治の乱。
Vについて、前九年合戦は1051〜1062年。



(この問題は『日本史標準問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『日本史地図・図解集』に収録されています。)